東の白檀 西の薔薇

頭痛持ちによる記憶と香りのむすびつき

ラルチザン エテアンドゥース : 西の魔女のシーツ

・グルマンな香りが好き
・濃厚なフローラルの香りが好き
・フルーティフローラルぜんぶ好き!

上記に当てはまる、香水という世界への扉を開きたての人にひとつ言えることがある(※当社比)

下記のような感想を抱きがちということ(※当社比)

「ラルチザン?ちょっと前に黒いボトルになったやつかぁ……これが人気のティーフォーツーかぁ。うーん。これも人気の?へぇ、重ね付けする人もいるんですね、ミュールエムスクね、どれどれ……うーん。あーこれが地獄通り。ああーでこれも同じ調香師の…エテ…えてあん?どーす?ね?はいはい……うわっあんまり個性ないな…….ははーん、あ、プルミエフィグエ!?これはめっちゃ好きです!!!!」(※当社比)

ラルチザンとかいう…職人などという自信たっぷりの名を冠したこのメゾンは…香りの幅が広く、初回で全ての香りを気にいるものはいなかったと言われている……(偏見です)

そんなこんなで大学生の頃からラルチザンという名前は知っていても、
スモーキーな香りがそこまで得意ではなかったので
「ははーん、これがね〜なるほどね〜」
と軽く試すだけで購入に至るまではいかなかった。
というか興味が湧かないというわけではなく、
"アニック"グタールとか、フエギアとか、ディオールとか、セルジュルタンスとか、優先的に欲しいものがありすぎてじっくり試すほど手が回らなかったというのが近い。



〜そして時は流れxx年後……2020年〜


アタイ「今日は胸にパッサージュダンフェ、左手首にエテアンドゥース」

https://twitter.com/perfume_paprika/status/1224933143389425664?s=21

※パッサージュダンフェ…ラルチザン
※エテアンドゥース…ラルチザン
両者ともオリヴィアジャコベッティ氏調香


嗅覚の解像度が少しずつ高まっていったところで小分け交換をさせていただき、その中にあったジャコベッティ氏のパッサージュダンフェに胸を打たれ、エテアンドゥースに心救われ……

どっぷりラルチザンもといジャコベッティ神(シン)の虜になっていた。


フローラルもフルーティもグルマンも相変わらず大大大好きなんだけど、、、、

大人ってさぁ!大人って!体力じゃなくてMP(マジックポイント)の方を削られていくというか、
毎日毎日、ココロとか自尊心を粗い紙やすりでジャッジャッてやすられていく、みたいな、
なんかそういうところあるじゃん!?

ない!?まじで!?じゃあ解散!!


で、自分の中の見えないナニカを削られていくその毎日の中で、
寄り添ってくれる香り、
救いの手をそっと差し出してくれる香り、
それがエテアンドゥースだったんですよね…


もちろん他にもたくさん救いの香りはあるんだけど……こんなにはっきりと、「差し出される柔らかくて白いほっそりした手」が見えたのはこれが初めてだった……

※柔軟性があって白い手と言ってもマスターハンドじゃないですよ。(わからない人は"スマブラ マスターハンド"で検索してネ!)



ここからが本題です

ラルチザンパフューム
エテアンドゥース オードトワレ(ひと夏の夕暮れ)
直訳すると優しい夏とか穏やかな夏って感じなのかな?douceはsweetとかtender、softに近そう。

調香師:オリヴィアジャコベッティ


香りは、
清潔感と、『西の魔女が死んだ』と、だだっ広い草原を蒸留したような……

ハーブの香りとリネンの香りが強く出る。
それでいて肌馴染みがすごい。


私の敬愛する梨木香歩先生のデビュー作、
西の魔女が死んだ』は多くの人が読んでると思うし、
読んでなくてもタイトルくらいは聞いたことがあると思うんだけど……
学校に馴染めず心を病んでしまった小学生の女の子が、
山の中で暮らす外国人のおばあちゃんの家で過ごす話である。

その中で、よく眠れるから、とシーツをラベンダー畑の上に干すシーンや、
庭で摘んだミントとセージでハーブティーを作ってそれを霧吹きでシュッシュッとする「手作り虫除けスプレー」をするシーンがある。

そういうシーンを読んだり観たり(こんな繊細な話なのに映画化に成功した稀有な作品だと思う。キム兄の怪演もよい。笑)したとき、
個別のラベンダーやミントを感じる時と、
「その情景まるごとのイメージの香り」を感じることがあるけど、
個人的には『西の魔女が死んだ』は後者が強い。
作中でジャムを作ったりハーブを使用したりするけど、「情景の香り」みたいな記憶が残る。


そしてエテアンドゥースを嗅ぐと、その繊細で、清潔で、誰にも汚される心配のない聖域、そんな自分だけの「情景」が呼び起こされる。



ラトリエのサイトには香りについてこう説明がある。

"草原に光る露、フレッシュなオレンジの花、リンデン、まばゆい夏の日差しの余韻を感じさせる干草のあたたかみ。 このフレグランスの真髄は、混じり気のない純粋さと明るさ。静かで柔らかなその香りは、まるで洗い立てのシーツが、オレンジの花と霧に輝く草の庭で風になびいてるようです。"

https://www.latelierdesparfums.jp/l-ete-en-douce-edt-spray-100ml


ただ、フランスの本国サイトではこのように書いてある

Un jardin, un matin d’été. Le parfum des draps blancs qui sèchent entre la rosée fraîche et les fleurs d’oranger.

https://www.artisanparfumeur.fr/parfums/la-fleur-d-oranger/l-t-en-douce-eau-de-toilette-1472121.html


訳すと、
「庭、夏の朝の庭。朝露とオレンジの花の間で乾いた白いシーツの香り」

って感じですかね…(英語翻訳してさらに訳してみた)フレッシュなdewって…朝だし多分朝露ですよね…

おいおい、夕暮れじゃないんかーい!

でも確かに、夕暮れというか、昼下がりというような雰囲気はある。
暖かい干し草の香りがするから。

夏の日差し…40℃の炎天下とかじゃなくて、32℃くらいの、夏が来たなって感じの暑さ。
その光にあてられてあたたまった、草の香りがする………


とにかく優しさとあたたかみかすごい。
下からは露に濡れた草原、上からはオレンジの木の花の香り。
もう絶対に晴れてるもん。眩しいもん。
心ってすぐ曇るじゃん、食べたかったピザまんが売り切れただけで曇るじゃん、
でもエテアンドゥースつけたら、即 晴れ間がのぞく。パアアアって効果音とキラキラのトーンつく。

ほら、朝露が朝日にあたって光っているわ…
あ、丘の上からハンナが手を振っている。
きっと森の小川でまたオフィーリアごっこをしようって誘いに来たんだわ。
ハンナったらほんとにおてんばなんだから……ヨーゼフが助けてくれなかったら海に流されていたところだったというのに!
今日こそはリンデンの花で花輪を作って
クララにプレゼントするんだから!
「リサ!リサったら!」
ハンナが私を呼ぶ声がする、行かなきゃ…
あ、そうだ、クララはエテアンドゥースの香りを嗅いだらすぐに、立てたんだったわ。
この素晴らしい香りはクララを立たせるのね。
ハイジが泣いてたっけ……よかったわね……


!!
ハッ………イメージの上での南仏の田舎町の娘になりきっていた…スイスが混じっていた…………ハンナって誰……妄想の中の少女、、丘の上から手を振りがち…….オフィーリアごっこは絶対にしてはいけません、赤毛のアンを読んだいい子たちはみんな知っているはず、、、危険だわ……止めに行かないと……



以上、年末ギリギリでエテアンドゥースのボトルが届いた田舎娘でした。









ここからは母親像の話。
香りのレビューはないので注意。


色んなレビューにもあったけど、エテアンドゥースの清潔感や聖域っぽさって、「お母さん」を想起させる人は多いと思う。

ただ『西の魔女が死んだ』でも母親というキャラクターが「母性」を見せることはないし、
私の母からはシャボンの匂いもたまごやきの甘い匂いもしたことがない。
あと個人的に「清潔感」とか「リネン」で特定の女性像を想起させることに抵抗がある。

でも、幼稚園の頃死ぬほど歌わされた「おかあさん」という歌の
「おかあさんて いい におい せんたく していた においでしょ しゃぼんの あわの においでしょ」の洗脳は思っていたより強くてどうしても「想念の上での理想の母親」みたいな気持ちに引っ張られそうになる。グヌヌ、耐えろ私、なぜ「おりょうり」や「せんたく」の匂いが母親と直結するのだ、耐えろ…改めろ……実体験と全く結びついていないのに……この有様だよ…そりゃオジイサンオバアサン世代は実体験と結びついてより強固な「古き良きニッポン☆夫婦は男女一対☆名字は家族で統一☆母は家庭を守り、父は家計を守ろう☆女は子供を産もう☆男は精一杯働こう☆」みたいな信仰してしまうわ、家族の役割の洗脳強すぎる。

でも香水の歴史からして、明らかにブランド側の発注、もしくは調香師の意図として「女性に向けた」「男性(ムッシュー)に向けた」みたいのあるじゃん。
それを否定する気は全くない。
ルパンやルフレンチーは酸いも甘いも知り尽くしたおじさまに似合うし、ミツコやルールブルーは立ち居振る舞いの淑やかなマダムに似合う。それは確か。

「古き」が「良き」とは限らないから、
「良き」部分だけ継承したい。
「故き」をたずねて「新しき」を知りたい。

「押し付けるな!」という「押し付け」をしたくない。
でも寛容な社会を守るためには「不寛容への不寛容」は必要になってくる。

大好きな香水という文化は、古いジェンダー観と切り離せないように思う。
でももともとはハンガリーの女王への贈り物、若返りの水が起源だ。(香料の文化とはまた別と考えてる)
若返ったハンガリーの女王は若い男性と結婚したとかしないとか言われてるけど、
ハンガリアンウォーターのレシピには「女っぽさ」はないと思う。

そこに自分のジェンダー観との擦り合わせの機会があるのではないかと思っている。