東の白檀 西の薔薇

記憶と香りのむすびつき

ゲラン サムサラ EDT: 絵画のような美しさ

 

先日のサロンドパルファンで購入したラールエラマティエールのドゥーブルヴァニーユが思いのほか肌への馴染みが良くて、優しく連れ添ってくれる香りだったので自分の中でのゲラン熱が燃え上がった……そんな矢先、ご縁あって我が家にきたのがサムサラ オードトワレ。

 

f:id:paprika-parade-dcmini:20181120154238j:image

 

 

サロンドパルファン2018にて、予約していたドゥーブルヴァニーユを受け取り、そのあとガーメントの山下さんとお話ししてるうちにいつのまにか財布を出していたリネンを持ち帰り、家人に「今年はもう香水は買いません」と宣言した。

(家で)酒を飲むこと以外ほぼ趣味を持たない人に言われる「随分お金使ったね」ほど心の臓に刺さる言葉はない。

 

でもそれから10日ほどして「今年はもう買いません」と言った舌の根が乾いて来てしまったのでサムサラをお迎えするに至った。

小学校の頃、「舌切り雀」でイジワルバーサンを演じた私のことだから、こんな屁理屈並べてたらいつか舌を切られるんじゃないかとビクビク過ごしている。

(香水への欲深さはあのバーサンくらいあるから危険だ)

 

 

ところで手元に来たビーボトル、ほんとうに美しい。

ゲランビギナーは前のボトルに思い入れがないので、すりガラスのような半透明のビーボトルに入った液体はなにより美しく見える。

 

私は6本足の生物が苦手なので全面に施されたハチが鬼門だったが、思ったより耐えられる。

蜂の巣の外観を装ったキャップも、まあこんな装飾あるよねーという感じ。

(蜂の巣の穴、ハニカム模様だけはどうしてもダメで、あの六角形が並んでいるのを見るだけで鳥肌が立ってしまうのでアクアアレゴリアはしばらくお迎えできなさそうだ。)

 

有り体なサムサラの紹介をすると

 

Samsara - Guerlain

 

 

ジャン・ポール・ゲランが最愛の女性のために、彼女が愛したサンダルウッドとジャスミンで創作した「サムサラ」。当時、宗教儀式のみに用いられてきた貴重なサンダルウッドとジャスミンを手に入れるため、ジャン・ポール・ゲランは何度もインドに足を運びました。調和とバランスを重んじる女性に向けた「サムサラ」は、 素材の融合性を極めた、官能と誘惑のフレグランスです。

 

とある。

 

「オリエンタル フローラル ウッディ
調和性が光る、包みこまれるような魅惑的な香り。

トップは香りの主役を成すジャスミンの花。サニーなイランイランがその香りを高めます。ホワイトムスクの明るく広がる温かさがそれに続き、最後にアイリス、トンカビーン、 バニラの香りが素晴らしい余韻へと昇りつめます。」

 

サンダルウッド全開なものと、アイリスが強いものは、実は私の肌との相性があまり良くない。

肌がもともと木のような匂いがするからか(前世はウソッキーみたいなやつだったのかもしれない)

f:id:paprika-parade-dcmini:20181114191222j:image

 

だから不安があったのでとりあえず着ていた服に1プッシュ。

 

(以下、中尾彬の声)

「うーん、おばあちゃんの匂いですねぇ……レビューにもあった、「おばあちゃん100人分」という感想の意味がよぉくわかりましたねぇ…」

 

とにかくあらゆるフローラルを押しのけて白檀がアクセル全開。

「おばあちゃん100人分」の白檀が藤原拓海も驚きのスピードで駆け抜けていきます。

 

でも不思議と、嫌じゃない。

鼻の敏感な家人も「うーん、寺!!」と言いつつ「嫌いではない」と言っていた。

アジア人の、抗うことのできぬ白檀への親和性を感じた。。。

 

 

しかし期待していた、花々とサンダルウッドの絶妙なバランス、を感じることができなくてとりあえず棚に安置。

白檀ことサンダルウッドはとても好きだけど落ち着くけど私の肌の上ではあまりに寺すぎる。超寺い(テラい)。

 

 

しばらく日を置いて再度試したのがさっき。あまりの感動に10ヶ月ぶりにブログを再稼働している。

 

気温も落ちて来て気分も落ち込むなぁと何の気なしにサムサラを腕につけたら、花々が…!!今まで見せることのなかった花々の姿が…!!!

 

「花の中の花」ことイランイランがまずあの柔らかな黄色い花弁をふわっと開きます。

そしてゆっくりとジャスミンの香りが立ち上がってくる、でもそこはもうアイリスの咲き誇る庭……。

アイリスとホワイトムスク(多分)のパウダリーさに包まれながらイランイランとジャスミンが咲いている。

 

(同じゲランのアプレロンデをまとうとハムの匂いになってしまう芸人の私、ここで号泣)

 

ハムにならない……うっうっ、そして、

肌にづげるど…寺くならな"い"…。

ゴンが復活した時のレオリオみたいな顔して泣いてる。

 

 

トップの花々が落ち着いてくると、柔らかなバニラが肌の上で立ち上がる。

背景にはムスクとサンダルウッド。

絵画のような美しさだなあと思う。

 

この前見た東山魁夷の絵画は、前面に押し出されているモチーフ(モティーフって言うのかな、ギョーカイでは…)と、計算され尽くした背景のバランスに酔いしれた。構図、色、全てが緻密に組み立てられていて、精緻でありながら機械的な冷たさは一切なく、自然に配置された木々、枝々、山、白馬、川……。

 

サムサラにもそんな温かみを感じる。

計算され尽くしているけれど、自然な。

 

トワレでこんなにいい匂いなんだからEDPやPはさぞかし素晴らしいんだろうと思うけどまだまだ纏うには早い気がして手を出さない。あと数年待つことにする。

 

ラストに向かってバニラも少しずつ落ち着いて柔らかなウッディに変化する。

私の肌との相性がいいのか、バニラは完全には消えない。人によってはカッコよく香るドゥーブルヴァニーユを「ヴェルターズオリジナルぐらい甘い」と言わしめた私の肌なだけある。

 

うーん、最後まで杏仁ぽさは私の鼻ではキャッチできないけど人によってはしっかりトンカビーンが香るのかなあ。

季節や体調、気温や湿度を変えて試したい。

 

 

紙や衣服と、肌の上とで全く異なる演出をするサムサラの虜になっています。

 

 

ディプティック「ドソン EDP」: 梨木香歩『f植物園の巣穴』

ずっとずっと欲しかったドソンEDP。

トップのジャスミンと、とろりとしたチュベローズ(ディプティックのスタッフはこれみよがしに「テュベルーズ」といい直してくる。そんなこと言うたらオーローズの"ローズ"なんてフランス語では「っカーズ」に近い発音でしょうRの音なんてうがいみたいな音だぞいい加減にせえよと思う)の香りが次々に花開く。


このもったりとした重みのある"テュベルーズ"の香りは他のメゾンではなかなか出会えない。トップのジャスミンのほのかな青臭さとその後ろから香ってくるチュベローズ、和名 月下香の香り。
個人的にはふわっとまといやすく、花の香りのする風を表現したEDTよりも、こちらが肌になじむ。


一年以上買いあぐねていたドソンを手に入れたタイミングでたまたま読み始めたのが、梨木香歩の『f植物園の巣穴』(2009.朝日新聞出版社)である。


f植物園の園丁である主人公はある日、椋の木の"うろ"を発見する。
どうやらその"うろ"は穀物の神であるオオゲツヒメを祀ったものらしい。
前世が犬のため時々犬の姿になってしまう歯医者の奥方、ナマズの顔の神主、さまざまな植物と出会い、そして過去の記憶がモザイク模様のように"現在"に入り込んでくる。

主人公、佐田豊彦は木の"うろ"に落ちていたのである。
現代版、そして中年男性版、不思議の国のアリスのようだけれど、佐田豊彦が出会うのはもっともっと心の奥深くの、自分でさえ気づかなかった、自己欺瞞して変えてしまっていた、過去の記憶と現在。

読み終わって数日して、偶然ツイッターで「猿田彦珈琲」という文字を目にした。
さるたひこ…?さたとよひこ…?
となり検索したらやはり、猿田彦は佐田彦という神の別名だった。そして佐田彦はウカノミタマノカミの配神で…つまり稲荷に関連する神だった。
そう、佐田豊彦という主人公の名前はオオゲツヒメにつながっていた。
(こんなに滔々と語っても全く本編に関するネタバレは含みませんのでご安心ください)

自分のオタク気質ゆえに知っていた稲荷やウカノミタマノカミとの、点だった知識が読後に線になり、そして面になって…とゾクゾクする体験をした。
梨木香歩作品によくあることだけれど点と点の関連性を作中では示してくれない。
あまりに情報量が多い植物についてもそう。
こちら側の知識、教養が試されている……気づけなかったことがたくさんあるのだろう、何回でも読み直して、何回でも新しい発見をしていきたい。


月下香の漂う夜。月下香は主人公の亡くなった妻の好きだった花だ。

田豊彦は、妻の千代のことを、どこまで理解していたのだろうか。


ドソンをつけているといつでもあの不思議な夜に心を移すことができる。


いつも本の栞は香水を吹き付けたムエットを使っている。一冊読み終わるまでは香りがもつので、内容と結びついて記憶されることもある。

今回は、たまたま、本当にたまたま、ドソンを吹き付けたムエットを栞にしていたら作中に月下香が出てきて驚いた。
本も香水も、ベストなタイミングで買い、また、読み始めたのだとしみじみ思った。



ディオール「グランバル」:生きるための香り

2016年、秋、新宿伊勢丹、1階フレグランスコーナーにて、私は生涯の伴侶を見つけた。

ディオールの高級フレグランスライン、 ラ コレクシオン プリヴェ (当時)のグランバルだ。

シンプルな円柱型のボトル、黒いキャップ、透明な薄いイエローの液体。
洗練されたその佇まいに何か心を惹かれた。


初めて肌にのせたときの感動は未だに新鮮なままだ。
ディオールのスタッフの方がプッシュすると、コストのかかっていることが感じられる細かい霧が肌をさっと濡らす。
その瞬間、全身を暖かいジャスミンの香りに包み込まれる。
泣きそうになった。というかちょっと泣いた。
まさか「いい匂い」という理由で泣く日が来るなんて思いもよらなかった。
それほど鮮烈な印象を私に与えたのだ。
こんなにも柔らかくて優しい香りなのに。



私の肌はアルコールに弱くメゾンによっては(ゲランなど)香水をプッシュしたところがヒリヒリしてしまうのだが、それが全くない。天然香料を謳うブランドでもないのに!

そしてプッシュした直後のツンとしたアルコール臭もしない。最初からフルスロットルで恍惚の香り。
どうなってるんだろう。


ジャスミンとイランイランの香りにうっとりとしながらも、思考はボトルや霧やアルコールのことに思いを巡らせてしまった。
だって香りが満点だから……ディティールに目がいってしまうの……。


大学に入ってすぐ、セルジュルタンスのアラニュイに出会った。
以降、ジャスミンの香りはずっと私のスタメンで、お気に入りで、精神を高揚させてくれたり、時には落ち着かせてくれたりと安定剤にもなる万能の花だった。


そんなジャスミンを、こんなに眩しく、キラキラと、朝日のように照らしてくれる香りに昇華させてくれるなんて…フランソワドゥマシー神(シン)を崇め奉りたい。


大舞踏会という名前の割に、香りには強い主張はない。
どちらかといえば優しく寄り添ってくれる香りだ。
ジャスミン大好きマンの私だから泣くほど感動したものの、いわゆる「万人ウケするフローラル」だと思う。

だけど、舞踏会のあとの、朝日が昇るその日の光の美しさまで、グランバルからは感じられる。
とにかく香りがきらきらしている。
ラメもスパンコールもジルスチュアートのコスメもカースト上位の女子もパーリーピーポーも得意でない私が愛せる唯一の「きらきら」だ。
その「きらきら」は気分を高揚させるどころか、落ち着かせてくれる。
舞踏会が朝にはおひらきになるように。
安寧な日常をもたらしてくれる。


辛い思い出と結びついても嫌だな…と思いつつ、仕事のストレスが強い時にこの香りをつけていく。
香りの大々的に認められる職場ではないけれど、私の嫌いなワード第1位「ザ・香水」第2位「いかにも香水という感じの」と、他人が受け取るような香りではないから特に気にせず纏っている。
香水に興味のない人にとっては「臭ければ香水をつけた人、いい匂いならばいい匂いの人」と認識されることを私は知っている……。


ふとしたときに香るグランバルは私に「大丈夫だよ」なんて言ってくれないが、


「ああああ〜〜〜〜!!私のウエストから質のいい香料のジャスミンの香りがするぅ〜〜!!(昇天)」


と思わせてくれる。
それだけで十分。
生きていける。


最も精神的に過酷だった時期に多用していたからグランバルをつけるとたまにその時期を思い出すけれど、この香りが過酷さまで緩和してくれる。
香りや苦しい思い出のディティールは消えても、「あの時いい匂いがしてた」という身体的な記憶はなかなか消えない。



ジャスミンがメインのグランバルが暖かい香りに感じられるのはおそらくイランイランの仕事っぷりが素晴らしいから。
同じフランソワドゥマシーのジャドールアブソリュはローズ、イランイラン、チュベローズ、ジャスミンというメインの香調から、数年前にイランイランを消した。
手持ちのものと比べてみてもそこまで大きな差が生まれないところが流石だけれどやはりイランイランが入っていると、途端に暖かみが増す気がする。南国の花の力だろうか。


様々な国の最高級の花を集めて作られたエッセンスの完成品である香水をまとえるという事実が、私の気持ちを豊かにさせる。


グランバルとともに、これからを生きていく。
大丈夫、まだもう少し、あと少し、と言いながら生きていく。

アニックグタール「ニュイエトワーレ オードトワレ」:森林、公園、犬

私が高3の時から、今年で9年間、実家でゴールデンレトリバーを飼っている。(めちゃくちゃ可愛い、ベリーキュート、天使と犬のハーフである、9年飽きることなく可愛いと言い続けている)

 

今は家を出てしまったので家族に任せているが、実家にいる頃は基本的に私が散歩をしていた。

もともとロングスリーパーだけれど、高校の時、人間関係の悩みでストレスがたまり休日ほぼ寝ている状態の私のために来たのが、可愛い可愛いゴールデンレトリバーの子犬だった。

 

犬は一年半で成犬になる。

ゴールデンレトリバーの中でもうちの子は大きく、体重は約40キロある。

雨の日はもちろん、雪の日も、台風の日も、風邪をひいていたって散歩には行かなければならない。

怠惰な私には疲れる大型犬の散歩は重荷だったけれども、それでも出かけてしまえば楽しいものだった。

 

 

家の近くには大きな公園があり、杉の木が林立していた。

冬、そこを通ると針葉樹林特有の清々しい香りがした。

そんな香りを嗅ぎながら、よく犬と話をしながら歩いた。

(一方的に私が音声にして話しかけているので、たまに気づかないうちに人とすれ違うとかなり恥ずかしい)

(犬は何も知らない顔をしてテクテクしていた)

 

 

誰より先に結婚報告をしたのも愛犬だった。

「おねえちゃん、結婚するかもしれないよ」

「寂しくなる?」

「ねぇ、聞いてる!!??!?」

(聞いてない)

 

愛犬はいま闘病中で、根治することのない病気と戦っている。

この世でなにより愛した子だから、死んでしまったらどうなるのか、まだわからない。

でも、まだ生きている。今は抗がん剤治療が終わり、元気そうだ。

マイエンジェル、マイサンシャイン。

長生きしてほしい。

 

 

………。

 

 

そんな犬との(ラブラブイチャイチャ)散歩の記憶をありありと思い出させてくれるのが、アニックグタールのニュイエトワーレだ。

 

 

肌に吹き付けた瞬間、鼻がシダーを捉える。やはり馴染みのある香りは認識しやすいのかもしれない。

一瞬遅れてミントやレモン、オレンジのトップノートをキャッチする。

 

冬の乾いた空気、静謐な冷たさ、清涼な杉の香り。

私の「散歩」の記憶を鮮やかに描き出すトップノートが始まる。

このニュイエトワーレのトップノートほど素晴らしいものって、世の中に「愛」くらいしかないんじゃないの…と思う。(思わない)

 

 

 

アニックグタールの香りはトップもミドルもラストさえあっという間に駆け抜ける。

 

柑橘類が通り過ぎると、爽やかだけれど厚みのある木を思わせるミドルがやってくる。

優しい、ふわりと遠くから香ってくる木の香り。ほんの少し混ざるスパイシーさが冬という季節を際立たせる。

 

もし重めのウッディなら下を向いて思考に耽ってしまう気がする。

でもこの香りはニュイエトワーレ、星降る夜。

この香りの軽さは、夜空を見上げさせる。

 

杉林の中、星空を見上げる。

さまざまな色をした感情を抱きながら。

 

プッシュした瞬間から肌になじんでふっと消えてゆくまで、私の記憶を呼び覚まし続ける、星空の下の風景の幻影を見せ続ける、そんな魔力のある香りである。

 

香りは記憶の栞になることがしばしばあるけれど、このニュイエトワーレは記憶の再生機のような…なにかトリガーになる存在だ。

 

 

 

 

[余談]

私の肌だとEDTでもEDPでも香りの変化はあまりみられなかった。トップにばかり意識が向くのも理由かもしれない。

でもこのEDTを家族につけたら私の肌の上で再生される優しいウッディとは全く異なるミドルノートになったので、きっとEDTと EDPでも大きく変わる人は多いはず。スパイシーさがどこまででるか、に大きく左右されるのかもしれない。

アニックはものすごく人(肌質)を選ぶ香りかもしれない。

 

 

セルジュルタンス「鉄の百合」: 小川洋子『凍りついた香り』

 

香りについてしっかり文章で記録したいと思ってブログを開設した。


小川洋子の小説が好きだ。

淡々としていて、それでいて濡れそぼったような、叙情的で、対象との距離を徹底的に取りながらも、驚くほど執着する。

そんな文体であるひとつのものへの偏愛、フェティシズムを描く作品群に魅力される。

 

『凍りついた香り』は自殺した調香師である恋人の死をめぐって主人公が翻弄される話だ。全く理由も分からず恋人が自殺してしまった。なんの前触れもなく。

いつだって人は、愛する人を理解したい。

 

 香水や匂いについてのみ語られる話ではないが、香りを愛する人にはぜひ一読してほしい。(感想を言い合いたい。)

 

神経質さ、ストイックさには色香が伴うのだと、小川洋子の作品を読んで知った。

この作品のみならず、小川洋子の小説には「死」の香りがどことなく漂う。映画化までされた『博士の愛した数式』さえ、小川洋子の作品に慣れたあとだとその仄暗さに気づくことができる。

その「死」の香りはとても安全とは言えないのに、抗いようもなく人を惹きつけてしまう。恐ろしいはずの「死」の香りは、魅力的だ。

 

神経質で、ストイックで、人を惹きつける死の香りがする...まさにそんな香りがある。

 

 

セルジュルタンス

ラヴィエルジュドゥフェール(La Vierge de fer)

日本語名は「鉄の百合」

日本未発売のこの香りは2015年に限定販売された。

その時はなんて美しい百合の香りなんだろうと思ったものの、そのうち買おう…と購入を先延ばしにしている間に売り切れてしまった。

何週間も取り憑かれたようにムエットの残り香を楽しみ、忘れようとしてもどうしても欲求が抑えられなくなった一年後、やっと入手した。

アメリカの公式サイトから買おうとしたが国外への郵送は不可だったのでアメリカのアマゾンからの個人輸入だった。

 

透明な液体が美しい鉄の百合は、トップから鮮烈に百合の匂いに包まれる。

実家がクリスチャンで昔から教会に通っていた私にとって、百合はマリア様の香りであり、大輪の百合の花束が活けられた教会の香りである。

直訳すると「鉄の処女」となるこの香りはまさしくマリア様そのものを表現したものだろう。

マリア様と掛け合わせたのは、拷問器具のアイアンメイデン。

だからこの香りは、冷たさが徹底されている。温度がない。優しく慈愛に満ちたマリア様の香りではない。なにか、背徳的な。正体不明の、取り返しのつかないものがすぐそこまで迫っている。そんな香りがする。

 

トップで百合に埋もれた後、一瞬、驚くほどの花と果物の甘さが香る。

ほんの一瞬、マリア様が微笑みかけてくださるような。包み込んで、甘やかしてくださるような・・・。

 

それはほんの一瞬で、すぐに冷えた洋ナシの甘さが鼓膜をつんざく。

洋ナシは聖母とともに宗教画によく描かれる果物だ。

「鉄の百合」に通底する冷たさは、温度のない静止画をじっと眺めているような気分にさせる。

甘い甘いフルーティな洋ナシの香りは温度を感じさせずただそこに鎮座している。

冷酷なまでに。

 

 

この香りが発売された当初、試した人の感想を読むと「普通のフローラル」というような旨のものが多かった。 

百合の花を宗教的意味合いに捉えられないとそう感じるかもしれない。

セルジュルタンスの香りはさまざまな文明や文化と結びついている。マリア様を思わせる名前のつけられたこの香りの、この背徳感。罪悪感。

 

誰にも見せられない一面をひっそりと認めてくれるような気がして、私にとっては特別な香りだ。