東の白檀 西の薔薇

頭痛持ちによる記憶と香りのむすびつき

セルジュルタンス「鉄の百合」: 小川洋子『凍りついた香り』

 

香りについてしっかり文章で記録したいと思ってブログを開設した。


小川洋子の小説が好きだ。

淡々としていて、それでいて濡れそぼったような、叙情的で、対象との距離を徹底的に取りながらも、驚くほど執着する。

そんな文体であるひとつのものへの偏愛、フェティシズムを描く作品群に魅力される。

 

『凍りついた香り』は自殺した調香師である恋人の死をめぐって主人公が翻弄される話だ。全く理由も分からず恋人が自殺してしまった。なんの前触れもなく。

いつだって人は、愛する人を理解したい。

 

 香水や匂いについてのみ語られる話ではないが、香りを愛する人にはぜひ一読してほしい。(感想を言い合いたい。)

 

神経質さ、ストイックさには色香が伴うのだと、小川洋子の作品を読んで知った。

この作品のみならず、小川洋子の小説には「死」の香りがどことなく漂う。映画化までされた『博士の愛した数式』さえ、小川洋子の作品に慣れたあとだとその仄暗さに気づくことができる。

その「死」の香りはとても安全とは言えないのに、抗いようもなく人を惹きつけてしまう。恐ろしいはずの「死」の香りは、魅力的だ。

 

神経質で、ストイックで、人を惹きつける死の香りがする...まさにそんな香りがある。

 

 

セルジュルタンス

ラヴィエルジュドゥフェール(La Vierge de fer)

日本語名は「鉄の百合」

日本未発売のこの香りは2015年に限定販売された。

その時はなんて美しい百合の香りなんだろうと思ったものの、そのうち買おう…と購入を先延ばしにしている間に売り切れてしまった。

何週間も取り憑かれたようにムエットの残り香を楽しみ、忘れようとしてもどうしても欲求が抑えられなくなった一年後、やっと入手した。

アメリカの公式サイトから買おうとしたが国外への郵送は不可だったのでアメリカのアマゾンからの個人輸入だった。

 

透明な液体が美しい鉄の百合は、トップから鮮烈に百合の匂いに包まれる。

実家がクリスチャンで昔から教会に通っていた私にとって、百合はマリア様の香りであり、大輪の百合の花束が活けられた教会の香りである。

直訳すると「鉄の処女」となるこの香りはまさしくマリア様そのものを表現したものだろう。

マリア様と掛け合わせたのは、拷問器具のアイアンメイデン。

だからこの香りは、冷たさが徹底されている。温度がない。優しく慈愛に満ちたマリア様の香りではない。なにか、背徳的な。正体不明の、取り返しのつかないものがすぐそこまで迫っている。そんな香りがする。

 

トップで百合に埋もれた後、一瞬、驚くほどの花と果物の甘さが香る。

ほんの一瞬、マリア様が微笑みかけてくださるような。包み込んで、甘やかしてくださるような・・・。

 

それはほんの一瞬で、すぐに冷えた洋ナシの甘さが鼓膜をつんざく。

洋ナシは聖母とともに宗教画によく描かれる果物だ。

「鉄の百合」に通底する冷たさは、温度のない静止画をじっと眺めているような気分にさせる。

甘い甘いフルーティな洋ナシの香りは温度を感じさせずただそこに鎮座している。

冷酷なまでに。

 

 

この香りが発売された当初、試した人の感想を読むと「普通のフローラル」というような旨のものが多かった。 

百合の花を宗教的意味合いに捉えられないとそう感じるかもしれない。

セルジュルタンスの香りはさまざまな文明や文化と結びついている。マリア様を思わせる名前のつけられたこの香りの、この背徳感。罪悪感。

 

誰にも見せられない一面をひっそりと認めてくれるような気がして、私にとっては特別な香りだ。